学びは気付き、真似ることから
今から30年も前の事です。私が社会人として東京で働き始めたころ、世の中は昭和バブル期真っただ中でした。経理マンの見習いとして、シーンと張りつめた空気の経理部に配属されました。この部署、本当に20人もの部員がいるのかと不思議になるくらいに静かな部屋で、聞こえる音といえば、時折鳴り響く黒電話の音とそろばんを弾く音、電卓をたたく音、鬼ヤンマと呼ばれていた私の上司、山野部長代理の怒鳴り声くらいのものでした。そんな環境は、私には全く合うわけがなく憂鬱な毎日を過ごしていたものです。
ところが、その私に一つの打ち込むモノを教えてくれたのが、3才年上の女性、島田さんです。彼女の電卓をたたくスピードはとても速くて正確なのです。全く目で追うことが出来ません。その姿はまるで電卓を操る仙人のようでした。そうだ、これだ!と、私も出来るようになりたいと強く思うようになりました。彼女に秘訣を尋ねても「自然に出来るようになるよ…」としか言ってくれません。最初は楽観視していたのですが、経理の仕事は絶えず数字に埋もれている毎日で、計算、計算、計算の嵐、、、私の遅い電卓の速度ではいくら計算しても追いつきません。仕事が溜まる一方=仕事が遅いのです。私はハッとしました。「電卓が速い=能力がある」の世界に飛び込んでしまったのだと、ようやく気付いたわけです。
困りに困った私は、「よし、全てをマネよう!」と、とにかく島田さんの動き1つ1つのすべてを真似たのです。不思議なもので、集中して何日も観察しているとそれまで見えてなかったモノが見えてくるものです。親指から小指までの位置や角度、高さ、腕や肘の使い方、5本の指全部を使って、、、そうか、ピアノを弾くときの指と同じなんだ!と。そのことに気付いた私は宝物を発見した気分です。もちろん他にも多くの気付きがその観察にはありました。結果、私は数か月後には見事なくらいに電卓を速く打てるようになったわけです。あの時の私は今でも忘れることのない達成感と充実感に溢れていました。
ここで重要なのは「学びとは真似ると言うこと」。そして、「真似たいと思えば、数多くの事に気付くということ」。
それは、『学びとは気づき、真似ること』なのです。学ぶ過程において自分から“気づき”の視点・目線を持つことが大切なのです。
この話には続きがあります。翌年、福田さんという新入社員の女性が私の部下に入ってきました。ある日、私にこう尋ねたのです。
「どうしたら、そんなに早く電卓が打てるのですか?」
私は「自然に出来るようになるよ」と・・・。
経理マン時代の良い想い出です。仕事の本質がそこにはありました。
2020年11月13日 太田 秀和